ゴー宣DOJO

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切通理作
2010.8.24 02:19

自分と「日本」が切り離されている

    

 先日、有本香さんの動画番組『夕方6時です』の次回分収録を見せていただきました。 実は私も一緒に写り込んでいるらしいですが、写っているだけですので、ご容赦を! 

 有本さんは番組の中の発言で、日本人にとって国旗とは、そこに自らの国家的アイデンティティを見出すというより、もっと軽いものになっているのではないかという指摘をされていました。


 たしかに、かつてのキリシタンの踏み絵のようには国旗を捉えてはいないかもしれません。どちらかというと、コスプレ感覚の延長として捉えている……というのは言い過ぎでしょうか。

 外国に出た経験の乏しい私は、有本さんや小林さんのお話で初めて知ったのですが、たとえばイタリア料理屋の店先にイタリア国旗が飾ってあるというようなことは、日本国内でしか見たことのない現象だそうです。

 国旗というものを、客寄せの賑やかしに扱ってしまう。日の丸を大切なものとして認識していないから、他国の国旗もそうやって軽々しく扱ってしまえるのでしょうか。

 黄民基さんの『奴らが哭くまえに―猪飼野少年愚連隊』(幻冬舎アウトロー文庫)という本で、在日の人たちの生まれ育った場所が最後コリアンバーとなり、そこで民族衣装のチョゴリを着た女性が接客しているのを見て、吐き気をもよおすというくだりがあったのを思い出します。

 実はそのくだりを最初に読んだ20代の時は、もし自分が外国に行って、安酒場に着物で接客している女性を見ても、それほどの気持ちは持たないだろうと思いましたが、それはひょっとしたら、僕の方が民族的アイデンティティに鈍感だったのかもしれません。

 たとえば目の前で日の丸が踏みにじられているのを見たとして、「よっぽど日本を嫌ってるんだな」と、踏んでいる人間のファナティックな感情に憐憫を感じても、自分自身がそのことで屈辱的に思う感性というものはどこかに行ってしまっている。

 それは感覚的に、自分と「日本」が切り離されているからなのかもしれません。

 『夕方6時です』の中で私はただ座っているだけですが、一箇所だけ、「反日」という言葉が出た時に、思わず声を出してしまいました。

 実は、むかし通っていた大学で、「反日」という貼り紙を見た時、不思議な感覚に包まれたのを思い出したからです。

 

 「反日」とはなんだろう?

 それを書いた人自身は何人なのか?

 「反日」と言ってしまえる己をどの立場に置いているのか?

 たぶん「反日」を唱えている運動体の人たちにとって、権力者は自分たちとは別の人たちという感覚があるのではないでしょうか。

 そして程度の差こそあれ、それは自分も含む一般日本人の感覚の中にあると思います。

 「国家」と言う時、その中に自分が(感覚的に)入っていない。

 

 だから四方山話の中でも平気で「政治家はバカだ」などと口にできる。政治家の存在を自分とはまったく違う、いくらでも悪口の言えるはけ口に使ってしまっている。

 テレビで、民主党政権に対して「お試し期間」などと高見に立った物言いをごく一般的な庶民がしていることを、有本さんは奇異に感じると発言されていました。

 その時、私は、8月8日の靖国會舘での『第5回・ゴー宣道場』で笹幸恵さんが、次々と手を挙げ政治家の無策を批判する参加者に対して「評論家になるな」と言った意味を、別の角度から見ることが出来ました。

 為政者でない一般庶民は、一票しか権限のない投票の機会を除けば、政策決定に参加することはないのだから、基本批判的意見としてコミットせざるを得ない。それは小林よしのりさんだって有本香さんだって同じです。

 しかしその立場が「同じ国民」という認識なのか「高見に立った匿名性」の立場なのかは違う。笹さんは後者の危険を察知されたのではないでしょうか。

 むろん、道場の参加者は「同じ国民」の意識を持ったうえで、人によってははるばる遠くから来られたのだと思います。笹さんはそれをわかったうえで、あくまで警鐘を鳴らしたのではないでしょうか。

 同じ夏の靖国神社では、敗戦の日に大声を張り上げ、口汚い言葉を響かせる右翼の人たちに不快感を持った参拝者の声を、私も聞いています。愛国心を持っているはずの彼らさえある瞬間失念してしまう、そこが「聖域」だという認識。

 キリシタンの例は激しすぎるとしても、我々が自分のアイデンティティを認識する時、国旗や聖域、そしてそこに象徴される国民国家というものが自然にあることを認識できる社会になっていくということ。

 そこに響かせる言葉が「世の中を分断しない言葉」なのではないでしょうか。

 今回、有本香さんと小林よしのりさんの語ったお話に示唆を受けたので、お二人の許可を得て、『夕方6時です』の動画UPより少し先にその話題をさせていただきました。

切通理作

昭和39年、東京都生まれ。和光大学卒業。文化批評、エッセイを主に手がける。
『宮崎駿の<世界>』(ちくま新書)で第24回サントリー学芸賞受賞。著書に『サンタ服を着た女の子ーときめきクリスマス論』(白水社)、『失恋論』(角川学芸出版)、『山田洋次の<世界>』(ちくま新著)、『ポップカルチャー 若者の世紀』(廣済堂出版)、『特撮黙示録』(太田出版)、『ある朝、セカイは死んでいた』(文藝春秋)、『地球はウルトラマンの星』(ソニー・マガジンズ)、『お前がセカイを殺したいなら』(フィルムアート社)、『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』(宝島社)、『本多猪四郎 無冠の巨匠』『怪獣少年の〈復讐〉~70年代怪獣ブームの光と影』(洋泉社)など。

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